千葉ロッテが1998年のペナントレースで「18連敗」の日本プロ野球記録を作った事は野球ファンならご存知だろう。この18連敗はロッテの歴史の中で決して忘れてはならない、語り継ぐべき出来事でもある。ロッテファンなら知っておくべきストーリーを紹介する。
時は松坂世代躍動のほんの少し前
そう、それは夏の高校野球が始まるほんの少し前。
この18連敗の止まった約1か月後に開幕した夏の甲子園で松坂世代が躍動した。
引用元:http://goo.gl/i37g57
横浜高校対PL学園の延長17回の死闘、明徳義塾戦での横浜高校大逆転劇、
決勝戦での松坂ノーヒットノーランでの横浜高校優勝。
多くのスターを生み出した1998年甲子園。
野球ファンにとって華やかなイメージの1998年。私もそうだった。
しかしロッテファンにとってはそれとは違う思い入れのある1998年なんだ。
負の連鎖が止まらない
全18敗のうち逆転敗戦は9、サヨナラ敗戦は4。
連敗脱出後はウォーレンが加入、河本も戦線復帰でブルペンが強化されチームは復調し、シーズン最終成績は61勝71敗3分、勝率.462。
借金10まで盛り返したものの最下位からは脱することができず、結果的にこの18連敗が大きな痛手となった。
チーム打率リーグトップ .271
チーム防御率リーグ2位 3.70
でありながら最下位となった。
1998年18連敗の詳細↓
6/13 ● ロ4-6オ 逆転負け。
6/16 ● ロ12-8近 二桁18安打も中継ぎ陣が総崩れ、四併殺の拙攻。
6/17 ● ロ6-9近 3点を先制するも逆転負け。
6/18 ● ロ5-7近 九回、3点のリードも、二死から同点、延長サヨナラ。逆転負け。
6/19 ● ロ0-7日 4失策の拙守が響き完敗。
6/20 ● ロ2-3日 先発武藤が7回無失点の好投も、救援失敗、逆転負け。
6/21 ● ロ10-11日 15安打10得点も投壊、逆転サヨナラ2ランを浴びる。逆転負け。
6/23 ● ロ0-4西 薮田4失点完投も西口も前に散発四安打完封負け。8連敗。
6/24 ● ロ5-6西 五点差を追いつく粘りを見せるも延長11回サヨナラ負け。9連敗。
6/26 ● ロ1-3近 小宮山奮闘も救援失敗。10連敗。最下位転落。
6/27 ● ロ1-3近 7安打1得点の拙攻。終盤に競り負け11連敗。遂に単独最下位に。
6/28 ● ロ2-6近 クロフォード、5回6失点KO。打線も沈黙。12連敗。
6/30 ▲ ロ5-5西 7回まで2点リードも八回につかまりドロー。
7/01 ● ロ4-7西 この日も逆転負け。三ツ野球団代表がファンへ謝罪。13連敗。
7/03 ● ロ3-4ダ 小宮山、意地の完投も実らず。14連敗。
7/04 ● ロ7-10ダ 試合前のお祓いの効果アリ、9回二死から同点に追いつくも競り負ける。
7/05 ● ロ3-10ダ 21被安打10失点で大敗。16連敗でプロ野球記録に並ぶ。
7/07 ● ロ3-7オ 黒木好投も…9回、あと一球から同点に追いつかれ、延長サヨナラ満塁弾でプロ野球新記録。
7/08 ● ロ4-6オ 平井の負傷、フランコのスタメン落ち…競り負け18連敗。
当時の監督だった近藤氏が週刊ポストのインタビューでその時の胸中を語っている↓
連敗中は神社への必勝祈願、真っ最中だった参院選で使われた必勝ダルマを持ち込むなどしたが、効果はなかった。
当時の近藤昭仁監督は残り1年の契約を残して辞任。退任会見で「もっと強いチームの監督をやりたかった」という迷言を残し、話題となった。
近藤氏が語る。
「采配がどうこうといわれたが、18回で1回も勝てないというのは、やはりチームに力がなかったんですよ。
トンネルは長かった? 1か月近くあったからね。倒れそうになりましたよ。慕っていた藤田元司さんが"寝られないだろう"と睡眠薬をくれたが、それも効き目がなかった(笑い)。僕は、その前はもっと弱い大洋で監督をしていたから(1993~1995年)、"負け慣れ"てはいたけど、18回も続けて負けるのは信じられなかった。
自分としては最大の努力をして負けたから仕方ないけど、情けなくて外なんて歩けなかったですよ。マスコミもひどかったね。テレビカメラが目の前まで迫って来て、それを突き倒したこともあったなァ。それでもありがたかったのは、連敗中でもファンが温かかったことだね。ヤジることなく見守ってくれた。それが一番印象に残っています。
まァでも、選手たちも"地獄を見たんだから怖いものはない"と開き直っていましたよ。僕だって、契約を1年残して退団することになったけど、本当は最後までやるつもりだったんです。でもフロントから、"無理することないですよ"と肩叩きされたのが真相です。
巨人みたいにいっぱい選手がいたらいいと思った。"もっと強いチームで~"というのは、本音ですよ。
連敗中は先発投手を後ろ(リリーフ)に持っていくなど、色んなことを試みた。選手もなんとかしようとしていたと思う。ベンチに盛り塩までしたけど、効果はなかったですね。まさかあの偉大な別所毅彦さんの記録(1970年サンケイアトムズ16連敗)を、僕が抜くとは思ってもいなかった(苦笑)」
※週刊ポスト2014年2月21日号
こうゆう時のマスコミは相当ひどいんだろうな。選手達も追いかけられまくって、どんどん精神的にも追い込まれていったのが想像できる。
でもそんな負の連鎖もいつかは止まるもので、少なからずそれを後押ししたのはファンの存在。
「ロッテファン=熱い」が確立された18連敗
ロッテファンの熱さを象徴する出来事はこの18連敗中に起こった。
1970年に作ったNPB記録(16連敗)に、とうとう並んでしまった翌日に先発予定だった黒木はロッカールームでモニター観戦していたが、10点目をとられた7回で見るのをやめたという。
「16連敗に怒ったファンが、暴動を起こすのではないか…」
1996年、当時最下位に沈んでいたダイエーの選手らが乗るバスを、ダイエーファンが取り囲み、生卵を50個投げつける事件があった。
それを思い出して恐ろしくなった黒木は、試合途中でその恐怖に襲われた。
だが、自宅でスポーツニュースを見た黒木は、愕然とする。
試合終了後のスタジアム正面には、500人ものマリーンズファンが集まっていた。
俺たちの誇り 千葉マリンズ
どんな時も俺たちがついてるぜ
突っ走れ 勝利の為に
さあ行こうぜ 千葉マリンズ
ラーラーラーラーララー
16連敗を喫したマリーンズを「俺達の誇り」と歌い続けるファンの姿が、そこにあった。
黒木はファンを恐れ、逃げだした己を恥じた。そして誓った。
「これからはファンの為に投げよう。懸命に投げよう」
「次は最初から目一杯行く。腕が千切れたって構わない!」
黒木はこの年、最多勝(13勝)、最高勝率のタイトルを獲得した。
私はこの時ロッテファンではなかったけど、テレビなどで何となく18連敗のニュースは聞いていた。
しかし記憶に一番残っていたのは大型連敗しても、試合終了まで声を張り上げて応援するロッテファンの姿。
この記憶から、ロッテファン=熱い が私の脳内にインプットされていた。
ロッテファンの先輩方がこのイメージを作ってくれたから、私は2005年から今もこうしてロッテファンになれているのかもしれない。
ありがとう先輩。
悪夢の18連敗。
知っておいて損はない。
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