イチロー
出典:似顔絵さがそ

2016年6月。日米通算で、ピート・ローズ氏の持つ通算安打記録を更新したマーリンズのイチロー。今日は、ぼくが人生で最も尊敬するイチローの日本球界の歴史についてまとめてみました。

コーチからの振り子打法ダメ出しを無視


愛知県出身。1973年10月22日生まれ。

愛工大名電高校出身で甲子園へは2度出場。

(高校通算成績 536打数269安打  打率.501)

1991年

ドラフト4位でオリックスに入団。

1992年

7月11日(今から24年前)にレフトで「鈴木一朗」としてプロデビュー。

この年は2軍で打率.366を記録し、首位打者を獲得する。

コーチ陣から振り子打法を否定されるがこれを拒否。自分流を貫く。

1993年

開幕戦は9番センターでスタメン出場。6月23日まではスタメン出場するが、打率1割台の不振で2軍落ち。

2軍で打撃コーチと振り子打法をさらに作り上げ、規定打席に足りなかったものの、2軍で打率.371を記録する。

1994年

登録名を鈴木一朗からイチローへ変更する。(オープン戦では鈴木一朗)

4月末から1番打者に定着し、130試合制では史上唯一となるシーズン200本安打の偉業を達成する。

この年打率.385で首位打者を獲得する。

1995年

阪神淡路大震災があり、オリックスは「がんばろう KOBE」を合言葉にスタート。

この年は、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得。チームは悲願のリーグ優勝を果たす。

イチロー2
出典:イチローの「オリックス・背番号51」を継ぐ選手は現れるのか!?

1996年

3年連続となる首位打者、シーズンMVPを獲得。チームは日本一となる。

1997年

6月に209打席連続無三振の日本プロ野球記録を樹立。首位打者を4年連続で獲得。


スランプを乗り越えたきっかけはセカンドゴロ
 

1998年

5年連続となる首位打者を獲得。しかし本人曰く、この年からスランプに陥ったと話す。

1999年

開幕前の2月にマリナーズのキャンプに参加。

4月11日にセカンドゴロに打ち取られた打席で、スランプを脱する。

その時の心情がこちら↓
「ああ、これなんだと思ってしまいました。これまで捜し求めていたタイミングと身体の動きを一瞬で見つけることができた。

あやふやなイメージではなく、頭と体で完全に理解することが出来たのです」

「ファーストに走りこんでゆく短い時間、自分のイメージに描いたフォームとセカンドゴロになってしまった実際のフォームを重ね合わせ、方程式を解くようにして、そうしたらはっきりとした解答が見つかったのです。

こんな明確な解答ができたのは僕の野球人生の中ではじめてだった。飛び上がりたくなるほど嬉しかったです」
出典: ウィキペディア

この年、6年連続の首位打者を獲得する。

2000年
102試合目を終えた時点で、打率3割9分台を記録するも、8月27日のロッテ戦で右脇腹を痛め途中交代。

残りシーズンを棒に振るも、7年連続となる首位打者&ゴールデングラブ賞&ベストナインを獲得。


以上が日本球界でのイチローの簡単な歴史です。 次回以降にメジャーでの歴史を書いてみようと思います。


イチロー対イチローのストーリーは続く


イチローがよく言うのは、ライバルに勝つとか、そもそも人に勝つという価値観で野球をやってないという事。

常にイチローは、イチローと戦っています。

結局、弱い自分にいかに打ち勝てるか、自分という人間力をいかに高められるかなんだと思います。

「子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきた自負はあります。

小学生の頃、毎日練習して近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』と笑われた。

悔しい思いもしましたが、プロ野球選手になった。米国に行く時も『首位打者になってみたい』と言って笑われた。でも、2回達成したり…」。
出典: イチロー「人に笑われてきた悔しい歴史」経て偉業


イチローから野球以外で学ぶことは、果てしなく多いです。人生の教訓になる言葉も数多く残しています。

僕自身、子どもの頃からプロ野球をテレビで観てきて、いろんな選手のインタビューを聞いてきましたが、イチローだけは何か言葉が違うなぁと子供ながらに感じてました。

まだまだ続くイチロー対イチローの戦い、「イチローストーリー」をこの目にしっかりと焼き付けたいと思います。